第一章 人類史上最悪の一日は最悪だった


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 電車にゆられながら、一人の男が窓の外を眺めていた。
 男は視点をほとんど動かさず、ただひたすら窓の外を眺めていた。
 別にその空の上に何があるというわけでもないのに。
 …いや、実のところその空の上にはとんでもないものがあったのだが。

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 空の上…地上約600kmに存在する天体望遠鏡、ハッブル。
 一時はトラブル続きでまともな観測が出来なかったが、修理が無事終わり
いまや人類になくてはならない存在であったが、その寿命ももう少しで
尽きようとしていた。
 それでもなお、ハッブルからは非常に美しく、かつ学術的に貴重な数々の
映像が送られてくるのだった。

 そんな中、つい数日前にパロマ天文台で発見されたひとつの小惑星、2009VD13の
軌道が、どうにも微妙な軌道であったので、大気の影響を受けないところで正確な
観測を行うことで、その軌道についてきっちり決着をつけようとしていたのだった。
 小惑星の存在空域が幸いハッブルの観測範囲と2秒ほどしか違わなかったなどの
幸運もあり、観測を行うことが決定付けられたのである。

 この時点ではみんな「あーよくあるニアミスになりそうだ」ぐらいしか考えていな
かったし、何よりここ数年間で見つかった小惑星のほとんどが地球をかすめは
したものの、はるかかなたに飛んでいってしまったという事実がある。

 そんなわけでNASAでハッブルから送られてくるデータを見ながら、本当の
意味でのアメリカンコーヒーを飲む一人の男、ケネス・マーチンはぼさぼさの頭を
かきむしりながら思った。こんなことなら昨日早く寝るべきだったと。

 地球に近づく小惑星発見ごとに掲示板やブログで騒ぎになりやがる。
 いや、本当に当たるのなら騒ぎになってもこれは仕方が無い。
 それこそトリノスケールが8とか9とかいうことになるのなら、これはもう正直
何らかの手を政府がうとうとして、そのために消費税が5%上乗せされても
文句言うなよ
、と思う。

 だがしかし、ほとんどの場合はそうではないのだ。
 まず当たりもしない隕石に対して当たるとかなんとかいう自称予言者。
 そんな連中が自分のブログで騒がれることを想像してほしい。
 最終的に「不信心者」「呪われろ」をはじめとしておよそ日本語に翻訳
することは不可能な罵詈雑言を書き込みだしたので、それを削除すること数回。

 気がついたら夜が明けていた。

 自宅のintelマックにwin積み込んだそのマシンが時報を鳴らしてはじめて
気がついた。あわててシャワー浴びて飛び出したが眠いことこの上ない。

 まったく俺は何をやってるのか、ケネスこと通称ケンは生あくびをしながら
衛星のデータを天文屋に送る。
 ハッブルなら大気の影響を受けないから、より正確な軌道を算出できる。
 そして彼のブログの馬鹿騒ぎもこれでおわる、はずだった。

 それがかれこれ十数時間前、ぐらいだったろうか。
 コンピュータの発達ってのはたいしたもので、そんな時間で軌道を計算
できる時代となったというわけだ。
 いずれにしろこの結果を叩きつけてやれば奴らも黙るだろう、とケンは
思っていた。これまでのところ、地球近傍を通過する小惑星の軌道を算出した
結果は最終的には正しいものだったし、そしてそれは地球に当たりはしないと
いうごく当たり前の結果だったのだ。

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 そのころ地球の裏側、正確に言うと裏側ではないのだが、一人の男が
秋葉原の町に降り立った。
 2009年の秋葉原は現在とどう違う、というわけでもない。
 ただ、中心街にあった店舗にかなりの入れ代わりが見られ、かつては堂々と
中心街にあったある意味いかがわしい看板の類が消えてなくなり、そういう商品を
扱っていた店も中心から離れたところに集中するようになっていた。

 では代わりにかつての電子製品の店が復活したかというとそうでもない。
 一度寂れてしまったものが復活するのはそう簡単なことではないのだ。
 となると、結局のこるのはどこにでもある普通の街並み。

 こんなもんだったか?と石原は思った。
 今浦島とでもいえばいいのだろうか。
 もう少しいかがわしい街だったはずのこの街が、ここまで明るく健全な街に
なってしまうという違和感。
 いや、わかってはいた。

 都による再開発計画の結果、異質なものは排除され、より一般受けする街に
再開発される。そんな話は職についていたころネットでも見たりしたし、同僚とも
話をしたことが幾度かある。
 そうはいってもだ。

 実際にこのような結果になるとなると、やはり心に一抹の侘しさを感じるのは
仕方の無いことだった。
 明るい街並みとそこを歩く2009年度冬のトレンドの格好をした男女を背に、
石原は目的のものを漁りに裏通りへと足を運ぶのだった。
 吹きすさぶ風が寒いのは、なにも11月という季節だからだけではあるまい。

 地下。
 かつて秋葉原の表通りに存在したアレでアレなゲームショップの類は、今では
表通りから裏通りに、そして裏通りの地下にと移転して行った。
 1920年代の禁酒法ではないが、法規制が厳しくなり販売のための制限が激化、
挙句の果てに購買者の個人情報を控える控えないなどという非現実的な話まで出始めた。
 結局のところそこまでやるのはどうか、という話になりとりあえずは商品を
表立ってみせる様なことはしないという結末と相成った。
 ある意味アレでアレなゲームは地下に潜ったわけだが、2009年時点では非合法化だけは
避けられていたので、その意味では地下に潜っているわけではない…と思う。

 そんな状況ではあったが唯一の救いは、その数年間でもゲームそのものは進歩している
という点であろうか。
 3Dなアレでアレなゲームがずいぶん増えた(それを邪道という者もいるが)り、USBによる
オプショナルパーツなアレがあったり…

 そういう意味でもずいぶん進歩したものだ、などと軽く感慨に浸っているところ、
店員がこちらをちらちら見る。
 進歩した反面、開発にかかる費用も馬鹿にならなくなっていた。
 単価の高騰。数年前からその傾向はあったが近年さらに加速した。
 当然万引きなどという事態になっては店が被る損失も少なくない。
 それはわかる、わかるのだがしかし…

 石原は軽くめまいがした。
 とりあえず一番ネットで好評な作品を選んで、手にとってレジに持って行こうとした…が、
よく見ると商品の空箱とICタグしかない。
 だったらそこまで客を泥棒みたいに見るなよ、そう思った。

 しかしレジに持っていったとたん店員の顔がにこやかなそれに変わった。
「いらっしゃいませ」
 当たり前の光景のはずなのになぜか違和感がある。
「すいません、これ、ください」
「ありがとうございます…少々お待ちください」

 店員が商品を取りに奥に行ったときに、石原は奇妙な張り紙を見つけた。
『当店で扱っている商品はソフトウェア倫理運用機構認可製品のみです 警視庁』

 店員が商品をもって戻ってきた。
「お会計は18,800円です」
「はい」
 石原は金を渡しながら聞いてみた。
「ところであの張り紙ってなんです?」
 店員の顔がさっきとは別の険しい顔になった。
「あぁあれね。よくわからんけど警察の指導が最近この種の店にずいぶん増
 えてね。なんでも警察の天下り組織だかなんだかだと」
「天下り?」
「そ、なんでもこういうゲームに規制かけつつ、うまい汁吸うためだとか」
「なんともなぁ…」
「お客さん、ひょっとしてそっちの関係?と思ったんだけど」
「違う違う」
 店員はようやく安心した顔で石原の方を向いてこういった。
「まぁそっちの関係の人でも客ならいいんだけど、この辺の警察にはこの筋
 の人間は配属されないんだとか」
「そうなんだ…」

 店を出ながら石原は思った。本当にきつい話だ。
 そして晴れた、何も無いはずの秋空を見上げて、ため息をついた。
 …その空の向こう、数億キロ先の天体など到底見えるはずも無く。

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 スティーブ・マートンとその上司、エリック・マクマトンがデータの再計算を
行うかどうか話し合っていた。
「マートン。これはどういうことなのか説明してくれるかね」
 見ようによってはありふれたオフィスのようにも見えるこの場所で行われて
いる会話は、しかし普通のオフィスでは明らかにありえない会話だった。
「どういうこともこういうこともないです。ただ一ついえるのは、この計算結果
 が正しいとするならば」
 スティーブはそこで一瞬エリックの目を見て黙った。

 サーバの起動音がとめどなく続く。壁に張ってある木星のポスターの大赤班が
こちらを見つめているようにも感じる。
「この小天体、といってもかなりのサイズのものですが、が数年後地球近傍
 を通る、というより地球に激突する可能性が極めて高いということです」

 スティーブの言っていることの意味がエリックには瞬間わからなかった。
 あまりに非現実的と思われることを、表情一つ変えずに語るこの男のせいで
そう思ったのか、それともあまりに異常な事態で脳が一時停止したのかはわからない。
 しかし次の瞬間、彼の左脳の論理野が活動を再開した。

 そう、われわれは知っている。
 かつて地球にいくつもの小天体が落下し、そのいくつかは地表を破壊しつくし、
灼熱の地獄に変えたことを。そしてそのうちのあるものは、かつて生態系の頂点に
立っていた、人類をはるかに上回る体躯を誇る巨大爬虫類を壊滅させたことを。

「…つまり、この小惑星が地球に激突して地上は大惨事になる、とこういう
 ことなのか」
「ええ、その可能性は低くないです」
「計算ミス、という可能性はないのかね」
「…残念ながら」
「そうか…」
 残念ながら、というスティーブの口ぶりがまったく残念そうに聞こえなかったのは
気のせいだろう、とエリックは思った。いくらなんでもそのような状況を不幸に
思わない人間なんていないに違いない、俺は疲れているんだ、今日は早く帰って
寝よう。そうしよう。

「どうします?公表、しますか?」
「あたりまえだろう。隠したところで世界中の天文屋があっという間に
 検証して、仮に、もし衝突すると判明したらだ、結局俺たちは嘘つき
 呼ばわりされるわけだ」
 エリックは「仮に」のところを相当強く発音した。
「で、この仮に、の部分だが、どの程度確からしいんだ?」
「25%です」
「…25%だ?この段階で?ハッブルはイカれてるのか?」
「いえ」
 あまりの部下の冷静さにさすがにエリックはぶち切れそうになったが、そのとき初めて
気がついた。スティーブが小刻みに震えているのに。
「…そうか。ひとまずNASAのお偉方、どう公表するか見ものだな」
「…」
 それきりしばらく二人は黙り込み、今後の自分たちの将来がある時点で途切れて
しまうという現実をじっくりと反芻するしかなかった。
 
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 二人の男が自分たちと世界の未来について絶望的な感情を抱いているときに、
一人の男が別の意味での暗澹たる思いを感じていた。
 …なにもこんな文化だけ残らなくてもいいものを。
「おじさーん、お金もってそうですねぇー」
「僕たち今月、ちょっとピンチなんですよー」
 石原は思った。こんだけ秋葉原が変わったにもかかわらず、こんな文化(文化と
いえるかどうか疑問だが)だけは残るのだなぁと。まさかこの時代になってなおヲタク
狩りが存在するとは。そしてよりによって自分が巻き込まれるとは。
 メインストリートから離れた位置にアレ系の店が移動した結果、このようなヲタク狩りは
むしろ増える傾向にあったことを彼は知らなかった。
 ややうす暗い路地裏には人影は見えない。
 それにしてもどうしてこう、趣味でもないのにわざわざ彼らはこんな街に来るのだろうか。
楽しみでもなんでもないのにわざわざ来るなんて
 
「不幸だ」
「あー?なにかいいましたー?おじさんお金持ってるんでショー」
「こんなお店の商品、高いですからねー」
「とっとと出すもん出せよオラ」
 赤い髪の若者が石原の襟首を締め上げる。
「痛い目にあいたくないでしょー」
「俺が?」
「ほかに誰がいるんですかー?」
「あわわわ」
 次の瞬間、金髪の若者は不思議な光景を目にすることとなった。
 なぜか男が倒れ、赤い髪の若者が、宙を舞っていた。
 落下。
 赤い髪の若者が、ゴミ置き場に頭から突っ込んでいた。彼らが知っているか
どうかはわからないが、いやおそらく知らないだろうか、かつてのミステリー作品の
異常殺人の犠牲者のような状態になっていた。
 上半身がゴミ箱に突っ込まれ、足だけが突き出している。
 腹のところに足跡がついていた。

「てっめ翔ちゃんに"何"しやがんだ!!」
「あたたた…あら?」
 石原はゆっくりと起き上がり、そしておもむろにいった。
「何って言うか…事故?」
「事故なわけねーだろ!!」
「いやだって俺こんなこと狙って出来るはずないし、"出来そうに見えない"
 から君らも狩りに来たわけでしょうに」
「っざけんな!!」
 金髪の若者は当然のように殴りかかってきたのだが、次の瞬間、彼は自分の
目の前に石原の手が伸びているのに気がついた。
「え?」
 目、腹、股間。激しい痛みを感じた。そのまま両者は絡まりあって倒れた。
 何事も無かったかのように起き上がる石原。
「あららら」
「うぁらうああぁ…」
 声にならない声を上げて金髪の若者はもんどりうっている。
「だからこれも事故だから、んじゃ」
 といって去ろうとした石原だが、思い出したように財布から3000円を出して、
「少ないけどこれ、治療代ってコトで」
 といって金髪の若者のそばにおいて今度こそすたすたと去ってゆく。
 …やれやれ、まったく災難だった。
 とりあえず買うものも買ったし…いやそういやまだ買ってないものがあったなぁ、
と石原は薄い本が大量に売ってある店を目指して歩き始めた。

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「最悪だ」
 ケンにもたらされた結果は最悪のものだった。2重の意味で。
 もちろん一番最悪なのは人類が壊滅的被害を受けるということであるのは
間違いない。しかしながらそれだけではすまない。
「また…荒れるな…」
 ケンは初めて、自分のブログを閉鎖しようか真剣に考えた。
「よりによって…トリノスケール…7…?」
 つまりかなり高い確率で衝突するのだ。この大型の小惑星は。そして衝突の際の
エネルギーはメガトン級水爆数万個分である。
「…帰りたくねぇなぁ…」
 そんなとき、ケンのところにお偉方含め多数の人間がわらわらとやってきた。
「おい、ちょっと聞きたいんだが」
「なんでしょうかぁ?」
「これ、本当なのか?」
 マイケル・ベンゼルが天体軌道計算の結果の書類を握り締めながら、ケンに
食って掛かるように聞く。
「ええ…嘘ついても仕方ないので」
 ざわめきがおこる。そしてざわめきがやがて怒号に変わる。喧騒。
 急にメンバーが騒がしく動き始めた。
 駆け出すもの、内線電話をかけるもの、今後どうするか話し合い始めるもの
…そんななかマイケルがケンにいう。
「しばらく、帰れなくなりそうだぞ」
 それだけ言うとマイケルも駆け出した。
 幸か不幸か、いや不幸なのだろうが、実はそれを聞いてケンはほっとした。
「これで、しばらく帰らなくてすむな…」
 ケンがよく考えたらそっちのほうが不幸じゃないかと気づいたのは、それから
15分後のことである。

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 石原がうすっぺらい本を買って店から出ようとしたとき、二人の警官と二人の若者が
店の前にいるのを見つけた。
「ちょっといいですか」
「はい?」
 警官が石原に声をかける。
「ちょっと署まで来ていただきたいのですが…」
「え?」
「任意同行、おねがいできますか?」
 警官は丁寧だが、厳しい口調で石原に問いかける。
 断るわけにも行くまい…だが…
「いいですが、ひとつだけ言わせてもらえますか」
「なんですか」
「アレは事故です」
「なわけねぇだろ!!」
 若者二人の絶叫が秋葉原に響いた。


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